木の椅子の作品展を見に画廊へ出かけた。目標とされるような著名な方も含めた5人の作家をそろえた展示は、バリエーションに富んでいた。作品が好きかどうかは別として、座り心地や手触り、形態の美しさを味わうのは面白い。同じ木の椅子をつくるという行為にあっても、着眼点、アプローチ、道具や技術がそれぞれ独特で、同じものは出てこない。造形の妙である。
 しばらく鑑賞していると、どかどか歩き回っていたどこかのお父さんが、大きな声で同伴者にこう言うのが聞えた。「これなら日曜大工でできるよな」
 思わず笑ってしまった。自信に満ちた声。相当な腕の持ち主なのだろう。おそらく同じものをつくることはできる。展示されている作品は、人に見せるほどの域に達してはいるものの、いずれも人の手でつくりだされたものである。真似してできないことはない。日曜大工のほうが、お金と時間にゆとりがある分、より高い完成度が望めるかもしれない。
 以前、蝶の成長の映像を撮っていたテレビのカメラマンと話したことがある。希少な蝶を探すことがまず大変だが、取材するにも日程に限界があり、予算が決まっている。羽化から成虫へ、そして産卵まで追うのは至難の技だ。集中し、時間もお金もじっくりかけられるアマチュアのほうがずっといい絵を捉えられると言っていた。しかし限られた条件の中で確実に絵を収める。それができるからこそプロなのである。
 椅子をつくって生計を立てる。たくさんの数をつくるとか極めて特殊な技術を要さないものであれば、たいていのものは技術的には誰でもつくることができる。だからといって自分でもつくれるのだから、たいしたことではない、とは言えない。模倣ではない独自のアイデアがあり、素材を知り、技術をもち、制作するエネルギーを惜しまない。意匠でも経済面でも技術力でも人に認めてもらえるだけの主張をもつ。お世辞や礼儀ではなく、認めてもらえるというのは、大変なことだ。その点を見落としてはいけない。