拝啓
枯れ葉舞う季節、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。このたびは礼拝・講堂棟の建立に対し、心よりお祝い申し上げます。

貴大学礼拝・講堂棟ナルテックスベンチ及び短大記念室ベンチの納品が完了しましたので、ここにご報告いたします。

今回、皆さまの長年の夢だったというチャペルの建設に際し、その一端ながらも携われたことを、嬉しく思っております。
個人的な話になりますが、我が母校でも最近、校舎の建て替えが行われました。緑豊かで穏やかなキャンパスの中で、新しい校舎は異質なものとなり、わずかながらも協力(出資)する者として、残念に思っている所存です。
そのような折、貴大学におかれましては、K先生による大変美しいチャペルの建設がなされ、すばらしいことだとつくづく思っている次第です。

制作いたしましたベンチにつきましては、家具を造形ととらえ、機能の面と美的要素のバランスを探り、かたちに導こうとしている私の活動と合致する、興味深いものでした。デザインにおける空間との呼応はもちろんのこと、設置については建築との取り合いで困難なものではありましたが、それを克服するまでの道のりも、十分に報いてくれるテーマでした。

ナルテックスベンチ及び短大記念室ベンチの制作にあたりましては、並々ならぬ熱い思い入れへのお祝いの気持ちと、つたない私へご依頼いただけた光栄な気持ちとを込めて、ささやかではありますが、ご請求額へ反映させていただいたつもりでおります。美しい礼拝堂ともども、末永くお使いいただければ幸いです。

貴大学の益々のご活躍とご発展を心より願っております。
末筆ながらご一同さまにくれぐれもよろしく申し上げてください。
敬具
仕事に、ノミやカンナといった道具をよく使う。これらは、手入れをしないとすぐに調子が悪くなる。調子が悪くなってしまうと、余計な力を使わなくてはならなくなったり、思うように作業が進まず形が崩れてしまったり、疲れて嫌になったりする。仕事を終えたときに満足したかったら、こまめに手入れをしなくてはいけない。
刃物を研ぐ姿は、絵になる。朝方、冷えた空気の中に白い息を吐きながら、まっ平らにならされた砥石の上に刃物を静かに置き、指を添える。決して慌てることなく、神妙な面持ちで擦り合わせていく。刃先を目の前にかざし、研ぎだされた鏡のような刃先に朝日がきらりと反射する。そこで軽くうなずいてしまったり。これが夜でもいい。囲炉裏端で、なんてシチュエーションだとなお美しいかもしれない。
何だか神々しい儀式のようで、雑念を取り払って無心に行わなければならないような、そんなイメージ。技は盗め、背中を見て覚えろ、という世界で受け継がれてきた研ぎの雰囲気は、刃物と砥石が擦り合わされる音が静かに響く、緊張感のあるものだったのかもしれない。無駄口をたたくなんて許されない、座禅のような空気。しかし目的はあくまでも刃物が切れるようになること。ロックンロールを聞きながら手入れをしたって、きっと楽しい。作務衣を着てなきゃ「匠」になれないなんてことは、まずない。
気持ちよく仕事をするために、疲れないために、けがにつながらないように、いつでもよく切れるようであって欲しい。ただそう思う。しかしながら、考え事をしながらその場しのぎで研いだ刃物は、すぐに切れなくなる。よく手入れされている道具は、何といっても美しい。
先日、電車に乗って出かけた。休みの日で朝も早目だったせいか、まばらな乗客の中で座ることができた。
しばらくして、隣(といっても何席か間がある)に座っていた女性が、携帯電話で話し始めた。電車の中での携帯電話の通話は絶対ダメ! とは思っていないし、空いていたので気にならずにいた。
そしてしばらくすると、今度は向かいに座っている女性が電話をかけ始めた。こうなるとなかなかにぎやかだなぁと様子をうかがっていると、後から電話をかけ始めた向かいの女性は少しきつい調子。どうやら相手が携帯電話の電源を切っていたらしい。だからメールが送れず、仕方なく電話をかけることになってしまったようだ。そしてこんな感じ。
「受験票忘れちゃったみたいだから、机の上にある受験票の受験番号メールで送って」「だから、受験票忘れちゃったから、番号送ってって」「なんでケータイの電源切れてるのよ!」「わかった?」
受験票を忘れてしまったことで少し焦ってしまったのか、ぷりぷりしている。叱られている電話の相手が、ちょっとかわいそうだ。と勝手に心配してみる。
女性は電話を切ると、攻略本とやらを取り出して、ページを繰り始めた。せめて受験番号だけでもわかっていれば何とかなるだろうから、あとは試験に集中するのみ。なのかと思っていると、そうでもなかった。ページを繰っては、ケータイのメールをチェック。友だちと「受験票忘れた。サイアク。お母さんケータイの電源入れてないし。ほんと使えねー」(?)なんて交わしているのだろうか。今だけは、試験に集中してみてもいいかもね。手許の攻略本も、あとで「使えねー」と一蹴されないよう、祈るばかり。
洗面所からふと外を見ると、裏手の斜面に紐につながれた犬がいた。一瞬、散歩の最中に迷い込んだのかと思ったが、考えてみればここは2階。犬が見えたのは、普通にはちょっと踏み入らない、結構な高みになる。改めてもう一度外に目をやった。よく見てみれば犬の形をした風船が、斜面の低木に引っかかって風になびいているのだった。どこからきたのか、風変わりな訪問者である。簡単に取りにいけるところではなかったので、しばらくしてまだついているようだったら取りにいこうかと、そのままにしておいた。
夕方、薄暗くなった頃、家に入ろうとドアに鍵を差し込みながら何気なく庭の奥に目をやると、得体の知れないものがうごめいている。ぎょっとしたが、また狸かハクビシンでも降りてきたのだろうかと、よく見てみると、またしてもあの犬が、そこでふわふわなびいていた。斜面の上の方にいた犬は、風に押されて奥に追いやられてしまったらしい。2度驚かされてかわい気を感じなくなってしまったこともあり、そのまま、放っておいた。
翌朝、今度は思い出して庭の外を探ってみると、もうそこには犬はいなかった。昨日近くにいるときに捕まえて、片付けて置けばよかったと、少し後悔する。どこかで人を驚かせていたり、または人の手の入らないところで最期を迎えてもらっても始末が悪かったなと、考える。
夕方、いつものように家に入る。部屋の照明を点けると、そこにあの迷い犬がいるではないか。風がないから、じっとしている。家の誰かが、招きいれたのだろう。今日も黙って、留守を守っている。
デザイン・コンペティションのプレゼンテーションに立ち会った。書面による一次審査を通過した作品の実作による二次審査は、それなりにハイレベルな、興味深いものだった。審査の前に、一通り見渡したところでなんとなく結果を想像してみると、結局、審査結果もほぼそのとおりになっていた。
そんなものかなと思いながらも、せっかく一線で活躍している専門家が審査するのだから、専門外の人が見て適当に下す判断とはまた違った、特殊なアプローチでの判断があって驚かされる、なんて事態になるのも一興ではないかと思ったりする。
アートではない、暮らしの道具を造作するときに求められるのは、安全性、機能性、耐久性、メンテナンス性など。これらを備えた上で美しくまとめあげられるかどうかに、デザイン能力が問われる。用を足すだけでは、またかっこよくても用を満たさないのでは、いい仕事とはいえない。
コンペは試験のようなもの。応募するコンペの傾向を把握し、審査員の作風や論調を調べ、コンセプトを練る。形をまとめる。プレゼンテーションする。コンペの雰囲気にそぐわないようだと、そのものがいかに優れていても、選ばれることはなかなか難しい。逆に趣味があえば、内容が不十分でも通ってしまうことがあり得る。
プレゼンテーションによって提示される情報にインパクトがあったり、日常では考えられない危うさや緊張感をはらんでいたりすることが新鮮で面白い、コンペにはそんな見世物的な面もある。