模様替えをしたり引っ越したりすると、もっているものの多さに驚かされる。よく使うものもあれば何年間もしまいっぱなしのものもあるし、気に入っているものもあれば、なぜ手元においているのかよくわからないものも少なくない。そのたび自分にとって余計なものはできるだけもたないようにしようと反省するものの、そう容易く改善されるものでもないらしい。
気に入ったものを手にしたい。誰もが思っていそうなことだが、感性は十人十色、気の利いたものとはなかなか出会えない。そのひとつがちりとり。
今仕事場で使っているちりとりは、近所で買い求めたもの。必要だったから、ちりとりには申し訳ないがしょうがなく選んでしまった。しかしこれが使ってみるとなかなか悪くない。金属のボディにゴムのベロがついていて、細かいちりまできれいに受け取ってくれる。ちょっと感心した。そうはいっても、愛嬌のなさは相変わらず。
使い勝手と端正なたたずまい。なぜかなかなか納得させてくれないこの関係が、暮らしのちょっとした楽しみになったりする。
ここ数日はとにかくにぎやかだった。コンビニに行けばバレンタイン。ラジオをつけてもバレンタイン。節分の太巻きは一気に駆け抜けていったような気がするが、ことバレンタインとなると、正月のお屠蘇が醒めるかどうかという頃からじりじりと迫ってきたような印象。
この日が近づいてくると街がピンク色に見えてきて、なんだかそわそわした空気がみなぎるように感じる。その子が、あの子が、みんな後ろ手に指を絡めうつむき加減で頬を赤らめている、そんな少女漫画のような絵になって見えてくる。どうも気恥ずかしい。
しかしこのイベント、もしかしてもしかするとチョコレートがもらえるかもしれない。そう思うと、ちょっと期待したくなったりもする。口元がゆるんでしまいそうで甘いものはあまり得意ではないのに、チョコレートだけは別。ちょっと苦みの利いた”大人味”のチョコレートのことを考えると、それこそよだれが出そうになる。
世間はどうあれ、そうそうおいしい話は転がり込んでこない。今晩楽しんでいるのはごくフツーの一口チョコ。巷で流行っているらしい超高級ショコラとは無縁の、ささやかな味わい。これで結構、至福なひととき。
夕方、近所の子どもが訪ねてきた。竹が欲しいと言う。何に使うのかたずねてみると、水鉄砲にするんだとか。どうやら幼稚園でつくったことがあるらしい。水遊びするにはまだ早いかなと思いながら、水鉄砲にするなら青竹の方がいいかもしれないと考え、連れ立って林に入り、先日切り倒したばかりの竹から必要な量を切り出した。
最近見た映画に、『トントンギコギコ図工の時間』 (Click!) というものがある。まさに小学校の図工の時間をのぞかせてもらっている、ドキュメンタリー。現代の子どもは体がよく動かないとか、道具がうまく使えないとか、独創性に乏しいなど、ネガティブなイメージをもたれている節があるように見受けられるが、創作と精一杯向き合っている子どもたちの活発な姿には、そんな暗さは微塵も感じられない。
奔放な創造力、制作にかける熱意、巧みな道具さばき。フツーな大人は舌を巻く。自分もこんなにできたっけ? 創作と製作を生業とする身にとって、戦々恐々な世界。
子どもの無限大のエネルギーは可能性に満ちている。我が子はもしかすると天才かもしれない、とは結構たくさんの親が思っているらしいこと。でもそれって意外と本当かもしれない。ただ天才が天才でいることが許されない何かがある。それはちょっとやそっとじゃ得体が知れないから恐ろしい。教育のもつ力、もっとちゃんと認識した方がいい。
青竹の節にあける穴、上手にあけられるかなぁ
一週間も木曜くらいになると、ペースダウンしてくる。仕事の内容や作業の進み具合(場合によっては天気でも!?)で工程をイメージしているから、カレンダーを見ないでいることもしばしば。突然の祝祭日には、近所のほんわかムードで気づいたり。それでも仕事の相手は社会だから、何となく日曜めがけて休みを取る。したがって月曜スタート。すると三日くらいして、疲れを感じてくる。
学生の頃は、課題に追われて夜まで残っていることもあった。あまり遅くなると、いい加減警備のおじさんに追い出される。真剣に危機を感じたときには、休日の学校に忍び込んで作業したり。熱心だったもんだなぁ なんて思ったら間違い。夜遅くまで作業ができるのも、休みの日まで出かけなければならなかったのも、普段集中して取りかかっていないから。考えてみたら、朝から真剣に取り組んでいたら、夜までもたない。若ければこそ、ってだけじゃ説明しにくい。しかしながらそんな気楽な生活も、楽しかった。
調子よく日記をつづってみるも、先週なんて見事な三日坊主。明日からはちょっとがんばらないと、大変だぁ
わがままになると、テレビは見られなくなる。起きたい時刻に起きて、食べたいものを食べて、やりたいように仕事して、眠くなったら寝る。他人の都合に合わせる生活をしない人には、一方的に時間と場所を指定するテレビはそぐわない。その点、新聞や情報誌は読みたいときに読みたい箇所をかいつまんで読めるという、わがままな人向けの媒体。テレビはどちらかというと、提供する側のわがまま主体。
というと本当にわがままなように聞こえるが、そうでもない。起きたい時刻に起きるということは、その日やらなければならないことがあるから。食べたいものを食べるためには、自分で用意しなければならない。自分のペースで仕事できるように、工程を管理する必要がある。なすべきことを消化できたからこそ、安心して眠たくなり、寝られる。結構シビアな生活だ。
先日、サッカーのワールドカップ最終予選の第一戦、日本対北朝鮮の試合が少し気になった。スポーツは活字で読むより、見た方が面白い。しかしテレビがない。今や携帯電話にもテレビがついているというのに。しかしブロードバンドがある。どこかしら動画配信していないものかと探してみたものの、見つけることができなかった。残念。
「インターネットはオンデマンド(任意のタイミングで見られる)、インタラクティブ(双方向性)、ニッチ(少数の希望にも対応する)の3点が強み。テレビやラジオと融合すれば、たとえばトーク番組の放送終了後もネット中継できる。それで視聴したいという人はいるはず」と語るL社のH氏。いるいる、ここに。地上波テレビのデジタル放送がはじまったって、テレビがなければ関係ない。

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先日皇太子が紹介したという詩が掲載されている本が、売り切れで増刷を決めたという。法律上の義務と権利、社会制度、人間関係などを中学生にわかりやすく解説した教科書とのこと。いいところついてる、なかなか。いつか、人間宣言ならぬ日本国民宣言してくれることを、期待してます。