友人が夢の話を書いていた。ちょっと恐い、体調の悪いときに見るような重苦しい夢。聞いてみるとちょっとそれ、見たことあるかもしれない。共通の夢を見るってそれだけでもちょっと恐いのに、忘れた頃にまた現れる、その夢を見ると不吉なことが起こるとか。まいったな。
そしたらなんと、指を切った。なんてことはない、ナイフを手にちょいちょい削りものをしていたら、力んだ勢いでトンッと指をついてしまった。それだけ。しばらくして大粒の血が、、、 夢を見ていなくても、話題にしただけで不幸に襲われるなんて、ほんとに不吉。
前にもこんなけがをしたのを思い出した。そういえばそのときも雨だったっけ。そういえば春だったかも。春になったのに肌寒い、そんなどんより雨の日に、一人で削りもの。同じナイフで、同じようなシチュエーションで。夢というより季節のせい?
体がほぐれる春になるのはうれしいけど、そわそわ落ち着かない雰囲気がちょっと苦手。体と一緒に気持ちまで緩んでしまいそう。春休みは長くとるべきかもしれないなんて、密かに思ったり。夢におびえるより、気を引き締めるべし。ラジオ体操でも始めようかなぁ と、早起きしている夢を見る。
仕事場のお向かいに、住宅が建ち上がった。木組みを始めてから2ヶ月。あっという間。景色が変わってしまったのは残念だけど、仕方のないこと。さぞ眺めのいい部屋ができたんだろうなぁと、想像してみる。
そこの大工さんと、ちょっと知り合いになった。業者さんは入れ替わり立ち替わり、自分の受け持ちだけを済ませて去っていくけど、大工さんは最後まで携わる。毎日顔を合わせているのだから、当然と言えば当然。あるときは、こっそり居間にあがらせてもらった。まだ家主も見たことのない景色。想像通りの、いい眺め。
そんな大工さんが、桜の時期になると何となくそわそわし始めた。どうやら大工さん仲間とのタケノコ掘りが好きな様子。うちが裏に抱える崖は、一面の竹林。以前、所有者がいなかった頃は時折掘りにきていたと言う。せっかくの出会いだったから、時期を見計らって山に入ってもらった。喜び勇んで林に分け入っていく3人。
しばらくして出てきた彼らの肩に下がっていた袋には、タケノコが山のように入っていた。思う存分掘れたその顔は、子どものようにほころんでいる。そしてこれから帰ってどう料理するのかうれしそうに教えてくれる。幸せを振りまくタケノコ林。うちにとってはもちろん、近所の子どもたちにも、地域の環境のためにも、こういった喜びのためにも、いい土地だと思う。
お向かいさんが引っ越してきたら、タケノコをお裾分けしてあげよう。これから長い付き合いになる。
久しぶりに、靴に油をすり込んだ。しばらく手に取っていなかったから、よくしみ込む。靴の革には哺乳動物の油。木には木の油。人には人の油!? 買ったばかりの頃は、結構頻繁に手入れしてたっけ。使い込んでいくうちに、なじんでくるとともに手入れがおろそかになるのは常のこと。身近なものほど,特別に扱うのは難しい。
この靴で、ずいぶんたくさんの地面を踏んだ。初めて足を入れたのは、十数年前。あちらこちら行動範囲が広がっていったのもその頃からだから、散歩遍歴のほとんどの場面に立ち会ってきたことになる。上着は脱げても、下着は取り替えても、靴はいつも足下に。海のずーっと向こうの土地で、朝起きたら荷物がなかったときも、靴があっただけでホッとしたのを覚えている。移動できるというだけで、安心できる。
実は一昨年の旅先で、そろそろ靴を買い替えようかと思った。10年履いた、この靴の生まれた国。記憶に残る、いい機会かもしれない。新しい出会いがあったら手にとってみよう、と思っていた。出かける前に入れた中敷きがだめになって、旅先で新しいものを買い求めたほど歩いていたけど、結局この靴で帰ってきた。まだオレ(わたし?)が面倒見てやる、ということか。
正確に言うと、靴底を2度張り替えているから、以前と同じ足跡は踏んでいない。もっと言うと、一歩ずつすり減って、足跡はいつも新品。でも心臓の鼓動のように、歩きつづけたいと、いつも落ち着かないこの足を包んでくれているこの靴は、変わらない。足下がしっかりしているということ。いつでもどこにでも歩いていけるということ。大きな安心感で支えてくれている。もう少し、頼ってみよう。
”レックス”といっても、かつての映画のことではない。恐竜博のために来日しているという、”スー”のこと。
恐竜博の報道にある”スー”の写真を見て、ちょっとどきどきした。写真に写っているのは、組み立てられた恐竜の全身の化石(の複製)。この巨体が、今の自分のように地上に足をついて、走り回っていたんだ。その量感、息吹き、視線、、、 ふと想像してみた。それって、すごいことなんじゃないか。
今の説では、家族があり、けがをしたときには助け合っていたんだとか。”スー”の最期も、子どもたちを襲ってきたティラノサウルス(共食い!)から子どもたちを守ろうとして、命を落としたといわれてる。大きな図体の割に、脳は握りこぶしくらい。あまり賢くなかったのでは、というイメージをもっていたけど、大違い。何トンもある体で大地を揺るがしつつ疾風のごとく駆け、獲物を捕らえていたらしいティラノサウルス。豪傑でありながら、情にもあつい。
恐竜の化石を見るなんて、小学生以来なかったかもしれない。わかっているようで実はあまりよく知らない、そんなもののひとつ。人って結構正直で、ものの大きさや重量感、存在のリアルさって実物と向き合わないと、伝わってこない。情報ばかりで実体がないと、変に原始的なイメージを引きずってしまう。縄文人と現代人で何が違うって、きっとちょっとばかしうんちくが上手になったくらいなんだ。てな感じで、恐竜だって、もしかしたら哲学をもっていたんじゃないかと思ったりする。
たまにはこういうの、見てみるのも面白そう。
桜も散って、タケノコも既に「子」じゃなくなって、庭に草がぐんぐん生えてきた。のびたタケノコって、ひどく不気味。毛むくじゃらのあのまんまの姿で、見るたびに背が伸びている。
Glashausはガラス張りだから、日中の日差しを申し分なく浴びられる。すると暖かいを通り越して、すでに夏を思わせる鋭さ。花粉のことばかり騒がれていたけど、紫外線、危険信号。
これから大挙して襲ってくるのが、昆虫たち。日が落ちてからガラスに張り付く蛾なんてのは序の口で、壁から天井から、黒い帯となって家を横断していくアリの行列。そこら中に空いている隙間から忍び込んで明かりと戯れる羽アリ。開いた窓から飛び込んできては閉じたガラスの壁に向かって飛びつづけるクマバチやスズメバチ! そして庭のあちらこちらで巣をつくりはじめるアシナガバチ。トカゲやヘビも加わって、ずいぶんにぎやか。
昨年、家を見に来たおじさまがハチに刺された。よく刺されるんです、なんて悠長なことを言ってはいたが、相当腫れていた。ここに立ち寄った後にも予定があったはずで、大変だったろうと思う。巣に気づいていれば、近寄らない限り襲われることはまずない。ただ、知らないとこんなことになってしまう。驚かせてしまったんだから、こちらも悪いかもしれない。でも代償としては、ちょっとしんどい。
一所懸命巣をつくっている姿を見ていると、その真面目さに敬服する。ちょっと頭がよいばかりにすぐ楽できてしまうヒトとはずいぶん違う。でもあまり近所に住んでもらうと困るんだよなぁと、その度に巣ごと駆除。申し訳ないのです、ホントに。もし「蜘蛛の糸」のような状況があったら、きっと逆に地獄行き。あぁぁぁ、、、 頼みますので、一軒分くらいあけてください。