南から湿った風が吹いている。台風が迫ると、南向きの谷間に位置するこの場所で吹き荒れる風雨は、なかなかのもの。ふと足元に目をやると、地面をメスのクワガタムシが這っていた。昨夏、網戸にメスのカブトムシが勢いよくぶつかってきて驚いたのを思い出した。梅雨入りするかどうかという昨日のこと。夏はもう目前。
今は昆虫をモチーフにしたキャラクターが人気のせいか、近所の子どもたちの虫取り熱は目を見張るものがある。クワガタムシやカブトムシを捕まえて楽しむことはずいぶんしていない。でも学生の頃、ホタルを求めて夜な夜な出歩いたことがある。初めてホンモノのホタルを目にしたのは、中学三年のとき。那須に泊まりがけで出かけた際、暗くなってから田んぼが広がる農道へ出てみると、そこかしこにホタルがヒカリの軌跡を描いていた。それはまさに、幻想的。
ホタルは絶滅に瀕しているような話ばかり聞いて、実際身近にいなかったから、そんな簡単に見られるものと思っていなかった。先輩がホタルを研究するのに繁殖させていた(これがけっこうすごいことなのです)こともあって、希少な存在だという認識はますます確かなものになる。感覚としては天然記念物レベル。それが田畑の広がる土地に出かけると、思いのほか気軽に見られることが新鮮だった。
それでも時期や天候によって、贅沢にも乱舞する姿を見たいと思うとちょっと難しい。その年は3、4日つづけて、昨日はあっちの町へ行ってみたから、今日はこっちへ行ってみようと、熱かった。どこへ行っても数匹は見られたが、結局乱舞する様を見ることができたのは、友人の家の裏。そこは毎年すごいと聞いていたから最後の砦と、締めくくりに訪ねた。そして裏切らなかった。その頃ペットボトルのお茶におまけでついていた、緑色のペンダントライトを照らすと、それに誘われるように近寄ってくるホタルの様子がまた、愛らしかったり。
うちにある小さな池も、うまいことすればホタルに棲んでもらえるかもしれないなぁ 暗くなったらこっそり楽しむのも、また一興。
親戚のおじさんは、ご子息のサッカーの試合があるとビデオカメラ片手に出かけていって、ダイジェスト版のDVDをつくって残しているらしい。素直に、いい親だと思う。改めて見ることなんて全然ないものの、うちにも幼い頃録ってくれた8mm(ビデオではありません)が十数本残っている。光を透過して映し出されるノスタルジックな色合いやリールが回るカタカタいう音、録音できない無声のものなんかもあって、それだけでも雰囲気があってなかなか楽しい。
ビデオを撮るというのは、定点に据えておくのでなければ、テープが回っている間ずっとカメラを構え、対象を見ている。画面の中のできごとは奇想天外、何が起こるかわからないから面白くもあり、そんな決定的瞬間を逃したくないという欲が出るともう大変。回しつづけるしかない。写真のようにセルフタイマーで自分も参加することはできないし、台本があるわけじゃないから、構図を考えてもキャストは意図した通りに動いてはくれない。カメラマンは常に画面の構成が頭にあって、登場人物とはちょっと離れた場所に身を置いて、専念していることになる。場合によってはちょっと孤独、、、 かも。
友人に頼まれて、ビデオの撮影と編集をした。学生のときも友人の誕生日とか、結婚のお祝いにメッセージビデオをまとめて、贈ったことが幾度かある。こっそり(とはなかなかいかないのだが)メッセージを録り集めて、音楽に載せて切り貼りしたものに、オープニングやエンディングをつけて、ジャケットもつくる。もらってから数回見たらしまわれて、その後は荷物の奥へ奥へと追いやられていくんだろうとは思うけど、ギフトや手紙ともまた違った感動があっていい。今回のものは、彼が熱意をもって関わっている町のお祭りの様子。
といっても素人だから、まず撮影がうまくない。写真と同じで、シャッターを切っているときはすばらしいのが撮れたと思っているのに、いざプリントしてみるとフツーだったりする、あんな感じ。画面がやたら揺れていたり、どこを撮っているのか焦点が定まっていなかったり、肝心な場面を逃していたり。家族の方が見たら喜ぶところは、友人が残しておいてほしいのは、お祭りの雰囲気が伝わる特徴的な素材は、、、 考えるときりがない。だけど楽しいのも確か。
そうして持ち帰ったビデオを編集。つまらない映像を長く見せるわけにはいかないから、適当な目標時間を定める。どこに注目するか決める。ストーリーを考える。音楽を探す、、、 気がつくと明け方。さすがに徹夜はしないものの、夜更かしを一週間くらいするとオリジナルのDVD Movieができあがる。そして主役の許へ配給。”いい仕事”にはほど遠い、いかに”らしく”見せるかが落としどころのオトナ(?)の遊び。
私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2005年の夏至の日、6月21日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいに電気をけしましょう。

ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見するプロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、電気を消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。

2005年、6月21日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。

※ 100万人のキャンドルナイト (Click!) 
一年で最も昼の長い日、夏至。その夏至を目指して、毎日これでもかというくらい日没が粘っている。すぐ目につくところに時計がないから、仕事場に降り注ぐ日の光で切り上げるタイミングを計っていると、夕食の時間がひどく遅くなる。小学校のチャイムは鳴るけど、まだ明るいから近所の子どもたちもなかなか遊びを終われない様子。これで梅雨じゃなかったら、遊び放題。
今年の夏至は21日。日の出は4時半前で日没は19時(東京周辺です)。なんと昼間が14時間半。これに対して、昼の最も短い冬至(今年は12月22日)は日の出が6時半過ぎで日没が16時半頃。ということは昼間は10時間ほど。4時間半も差がある。”最も”とは時期がずれてしまうけど、サマータイムを導入したらどうかというムーブメントが起こるのも、わからなくはない。そこでそんなに昼が長いのならば、堪能しなくてはと思った。天気がよかったらBBQしてみるとか、ビール片手に海まで散歩に出てみるとか。ささやかなこと。”秋の夜長”とはまたひと味違った、夕暮れをだらだら過ごすそんな会。
とかなんとかいいながら、当日になったらすっかり忘れてるかもしれない。日の出とともに起きだせなくちゃ、14時間半は堪能できないのだから。湿った空気で気持ちまで重苦しくなりがちな季節。楽しいこと考えて気を晴らすのに、いいネタのひとつ。
立ちこめる線香の煙。途切れることのない人の波。祈りの声。梅雨時なのになぜか晴れることの多いその日。今年も暑い一日だった。
この国で唯一地上戦を記憶する、その土地が迎える60回目の組織的攻防の終焉の日。平和を祈念する広場で、過去の悲惨なできごとを悔やみはするものの、平和を希求する姿勢を見せることなく退散した来賓を乗せた黒塗りの車の列が、信号機を止めて一般の車を遮断した田舎道を、ノンストップで走り去っていく。
戦の後、野ざらしになっていた遺骨を最初に葬った場所。そこに集められた亡骸は敵味方を問わず、4万に近いといわれている。慰霊に訪れる人たちのたたずまいの中に、その時代をまさに生きてきた人は少ない。時が流れ、価値観が移ろうのは自然なこと。しかし世代を超えて語り継がれていくことがあり、あってはならないことがある。
自分のこと、相手のこと、世界のこと。様々な立場のことを想像できる力を豊かにもつことができるのがヒト。誰にとっても住み心地がいい、平和な世界を願ってやまない。