店先に、さまざまな道具と並んで、小さな家が置いてある。何だろうかとおもむろに手に取って、くるっとひっくり返してみると、そこにはなんと "10,000,000" のラベル。丸がたくさん。息をのんで、思わずそーっと元に戻す。この小さな小さな家が、一千万円? 実はそれ、家の模型。他の身近なものたちと混ざって、模型が陳列されていた。この家を建てると、一千万円。ちょっとした、勘違い。
高度な技術や、数を必要とするものをつくるときには、様々な人が関わる。発注する人、かたちを考える人、製作する人、設置する人、取りまとめる人。建物を建てるときのことを考えると、わかりやすいかもしれない。建築を依頼する人、設計する人、図面を書く人、強度を計算する人、法規と照らし合わせる人、、、 と、建て始める前から把握するのも大変なくらい。だから、意思の疎通のために多くの時間と労力が割かれる。みんなが気心知れた友人だったらいざ知らず、ことがスムーズに運ぶというのは、一筋縄ではいかないもの。
図面に、完成イメージのイラストが添付されているとする。デザインを練る人、設計図に起こす人までは密に連絡を取り合って、スムーズに運ぶかもしれない。しかし図だけが製作現場に渡されると、イラストに描かれていた陰が、完成品に塗装されているなんてことも。イラストがわかりやすかったばかりに、塗装指定を読み込むことなく、絵の通りに仕事してしまったというわけ。それがひどく上手だったりするから、憎めなかったり。もちろん、やり直しですが。
提供する側の思惑とは裏腹に、受け取る側にはそれぞれの解釈がある。完全無欠なことをつくりだすなんてできないけど、あらゆる場面を考え抜いてものや情報を提供できたときに、つくり手と使い手の双方に、感動が生まれる。ハプニングもたまには、楽しいけどね。
"Glashaus" はガラス張り。"三匹の子豚" なら、とりあえず最後に残る頑丈な家ではない。軽く、構造が柔軟なので、地震で粉々になるようなことはまずないそうだが、台風で瓦でも飛んできたら、さすがに耐えられない。小屋が内部空間を守るシェルターだとすると、失格かな。しかし風雨をしのぐには、これで十分。
機械での作業中に、回転する刃に引っかかった木片が飛んでいったり、立てかけてある材料が倒れてしまったり、庭の草刈りをしていて小石を飛ばしてしまったり。そんなことでガラスを割ってしまうこともあるだろうと思っていたものの、そんな事故は起こっていない。多少の衝撃では破れないよう、処置してある箇所が多いことも幸いしているのかも。しかしついに、そのときがくる。
来客があり、庭で話をしていた。まわりでは、いつものように、近所の子どもたちが虫取りに興じている。夏休み明け直後。たくさんの大人の目。いつになくたくさんバッタとカマキリが捕れていたこともあったのかもしれない。少し興奮していたのだろう。仕事場の外壁にとまっていた虫を見つけると、何を思ったか、網でもないのに、手にしていた棒っきれをその虫めがけて振りおろした。虫に当たるわけもなく、空を切った棒の端は、外壁に直撃。あたりまえのように、ガラスに穴。あれ? と目を丸くした顔をこちらに向ける、少年。
割れたガラスが飛び散ることなく、けが人がいなかったのはよかった。できっこないけど、こういうときは、漫画のように「こらぁ〜!」と怒鳴ってみた方が面白いのかな、とちょっと想像してみる。そして、棒でガラス板を叩き割ったときの感触。誰のものでもなくて、とがめられることがなかったら、きっと気持ちいい。
今どきの家のガラス窓は、叩いて割れるような代物ではない。食器は落としても割れないし、壁に書いた落書きは、消せてしまう。人に "優しい" ものに囲まれた暮らし。身の回りにどんなものがあって、どんな役に立ってくれるかは必要以上によく知っていても、身の回りにどんな素材があって、それぞれどんな特徴をもち、どんな弱点があるかはきっと知る機会がない。ガラスにも種類があって、多くのものは実は簡単に割れてしまうということ。きっと期せずして手に入れた、貴重な感触。間違っても、癖になりませんように。
家の人の携帯電話の調子が悪くなってきたらしい。通話中、突然切れるんだとか。そういえば自分のにもそんな症状が、、、 これが寿命のためなのか、システムの問題なのか、よくわからない。彼の端末は2年ほど、自分のは3年経つ。回転のはやい携帯電話の世界。適当な時期で不安にさせるようにできてるのかも!?
そんな彼。買い替える際、問題になるのがいわゆる "ベル打ち" できるかどうかなんだとか。そういえば学生時代の友人も、それで機種を選んでいた。そういう自分も、ベル打ち。確かに "とろっこ" と打とうと思ったら、4を5回+9を5回+4を6回+2を5回=21回押さなくてはいけないところを、ベル打ちだと4+5+9+5+4+3+*(←機種によって異なる場合がある)+2+5=9回で済む。省エネだなぁ ポケベル世代には必須の機能なのではないか、と思いきや、じわじわと葬り去られつつある様子。店員に尋ねても、そこまで把握していないことが多い。
実は以前、ポケベル全盛の頃、ベル打ちで入力できるキーボードを思いついた。パソコンのテンキーは電卓の配列。これを電話機の配列に置き換えて、ベル打ちで仮名入力できるソフトを積む。すると、26文字のアルファベットも、50文字のかなも覚えることなく、10個のキー配列を覚えるだけで、ブラインドタッチができるようになる。若い人のポケベルの入力操作はとにかく早かったから、事務仕事でも役立つだろうと思った。
それからもうひとつ。携帯電話にカメラがついたとき、そのカメラで自分たちを撮影するのを見て、いつか二つ折りの携帯電話の、カメラを搭載した側の半分が回転するようになるだろうと思った。しかししばらくして、カメラを両面に、ふたつ搭載した携帯電話が先に登場した。あとになってひねるタイプも登場したが、これにはちょっと驚いた。ひねるより、ふたつつける方が効率よかったんだろうか。
電話のキー配列のテンキーにしろ、ひねるタイプのカメラ付き携帯電話にしろ、瞬く間に廃れてしまった文化(?)だったり、さらに先をゆく(?)機能が登場したり。ちょっとした思いつきなんて役立てる間もなく、ヒトの世は移ろいやすいものだと、しばしば思わされるのでした。
知人のご子息が、大学受験を迎えている。果たして興味があるかどうか本人でさえ判断する余裕のない状況で、学校から指定校の推薦枠を勧められて、はなはだ困惑していた。本人はもちろん、知人も親として初めて遭遇する子どもの受験。人ごとながら、大変だろうと推測する。
義務教育とかいうものは、中学で終わっている。高校に進学したときから既に、勉学に励みたいという前向きな(?)姿勢で通学しているはず。やりたいことがあって、そのために必要なものをすでにもっているなら、もしくはそれが他のところにあるのなら、大学に行く必要はないかもしれない。目標は大学に入ることではなくて、その先の、自分の半生に向かっていなくてはいけないから。
でも時として、目的が、手段であるはずの大学に入ることにすり替わってしまうことがある。美術系の予備校では、東京芸大に入りたいがあまり、5年も6年も浪人をつづける、主(ぬし)のようになってしまった人がたまにいる。さすがに腕は相当なものになっていて、いい加減大学行かないで創作活動してみればいいのに、、、 なんて思ったりもするのだが、そこまでいくと意地なのかもしれない。
受験を機に、将来の展望について真剣に考えるのも悪くない。ご子息は意を決して、推薦枠を断った。他校の一般入試を受けることにしたらしい。傍から様子を伺う限りでは、まだ具体的な目標がイメージできたわけではないようだが、進む道を自分で判断していくという、確かな一歩を踏み出したわけだ。この、大学進学のためのシステムが性に合わないことがあるかもしれない。そうしたら辛いこともあるだろう。でも、乗り越えるにはわかりやすい関門。見守っていきたいと思う。

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10月1日より、望月菊磨が福岡で個展をします。詳細はこちら (Click!) へ。お近くにお越しの際、お立ち寄りいただけると幸いです。