ときどき、おっと思うキャッチコピーに遭遇する。いいとかつまらないとかいう評価じゃなくて、とりあえずおっと思う。気になるということは、キャッチコピーとしてはひとまず成功。ま、たいていはおかしくって目に留まるのですが。
ここのところ面白かったのは、「人は手ブレする」。いわずと知れた、○ナソニックのデジタルカメラの広告。そりゃまあそうなのかもしれませんが、こう面と向かって否定されると、何だか歯がゆい。「手ぶれする」のあとに、「ざんねーん!」と聞こえてきそうで、ダメだしされているような申し訳ない気持ちになる。ひとつ前の「あゆはブレない」の方が、表現が肯定的で耳になじみやすかったように思う。とりあえずインパクトあり。
そしてついつい笑ってしまうのが、環八(カンパチ)の砧公園辺りにかかっている横断幕。「ポイ捨て かっこわるいぞ!」だって。黄色(しかもちょっと濁っている)地に黒角ゴチックで大書されているのを見れば、きっとあなたもにやけるはず。こちらも否定的な表現ながら、ぎくっとするより茶化されている感じ。もっと色気を出した方が効果あるかも。
キャッチコピーといえば、コピーライター。コピーライターという専門家があまり認識されていなかった頃に、その存在を世に知らしめたのが、きっと「ほぼ日刊イトイ新聞」http://www.1101.com/index.htmlの糸井重里氏。スタジオジブリの諸作品をはじめ名作はいろいろあるけど、N自動車の「くう ねる あそぶ」が鮮烈だったような記憶がある。沢○研二の「TOKIO」の作詞もしていたり。ことば遊びといえば谷川俊太郎氏だったけど、ビジネスにのっとったライターとして、興味深い。
そういえば小学生のときに、投票を呼びかける標語のコンクールで、表彰されたような気がする。選挙というシステムをよくわかっていない少年が、標語を考えるなんてちょっと無理。それらしい言葉を、音の響きで並べてみたら、オトナに受けたらしい。確か「その一票 平和な社会 つくるカギ」(定かではありません)だったような。子どもが考えたにしては、くさい。
記憶にあるのは、校長から賞状を受けるのに朝礼のとき朝礼台の前に並ばされたら、自分だけ半ズボンだったのが妙に恥ずかしかったことくらい。これを誇りに思えれば、先があったかもしれないのに。ことば遊びには、向いていなかったようです。
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上野動物園のカバの前にある「ほぼ日刊イトイ新聞」の広告。あんなのどかな場所に看板が出せるなんて、ちょっとうらやましい。
ここのところ面白かったのは、「人は手ブレする」。いわずと知れた、○ナソニックのデジタルカメラの広告。そりゃまあそうなのかもしれませんが、こう面と向かって否定されると、何だか歯がゆい。「手ぶれする」のあとに、「ざんねーん!」と聞こえてきそうで、ダメだしされているような申し訳ない気持ちになる。ひとつ前の「あゆはブレない」の方が、表現が肯定的で耳になじみやすかったように思う。とりあえずインパクトあり。
そしてついつい笑ってしまうのが、環八(カンパチ)の砧公園辺りにかかっている横断幕。「ポイ捨て かっこわるいぞ!」だって。黄色(しかもちょっと濁っている)地に黒角ゴチックで大書されているのを見れば、きっとあなたもにやけるはず。こちらも否定的な表現ながら、ぎくっとするより茶化されている感じ。もっと色気を出した方が効果あるかも。
キャッチコピーといえば、コピーライター。コピーライターという専門家があまり認識されていなかった頃に、その存在を世に知らしめたのが、きっと「ほぼ日刊イトイ新聞」http://www.1101.com/index.htmlの糸井重里氏。スタジオジブリの諸作品をはじめ名作はいろいろあるけど、N自動車の「くう ねる あそぶ」が鮮烈だったような記憶がある。沢○研二の「TOKIO」の作詞もしていたり。ことば遊びといえば谷川俊太郎氏だったけど、ビジネスにのっとったライターとして、興味深い。
そういえば小学生のときに、投票を呼びかける標語のコンクールで、表彰されたような気がする。選挙というシステムをよくわかっていない少年が、標語を考えるなんてちょっと無理。それらしい言葉を、音の響きで並べてみたら、オトナに受けたらしい。確か「その一票 平和な社会 つくるカギ」(定かではありません)だったような。子どもが考えたにしては、くさい。
記憶にあるのは、校長から賞状を受けるのに朝礼のとき朝礼台の前に並ばされたら、自分だけ半ズボンだったのが妙に恥ずかしかったことくらい。これを誇りに思えれば、先があったかもしれないのに。ことば遊びには、向いていなかったようです。
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上野動物園のカバの前にある「ほぼ日刊イトイ新聞」の広告。あんなのどかな場所に看板が出せるなんて、ちょっとうらやましい。