中学に入学したとき、技術の教師が新入生に、輪切りにしたヒノキを配ってこう話した。
香りは記憶を呼び覚ますきっかけになる。祖父母の家に漂っていた線香の香り、海で遊んだときの磯の香り、旅先で嗅いだ異国の料理の香り、、、 ふとしたときに同じ香りを嗅ぐと、その香りと深く結びついている記憶が蘇ってくる。君たちが今手にしているヒノキから放たれている香り。この香りを嗅ぐとき、きっとこの学校に入学してきたときの、希望に満ちた新鮮な気持ちが思い起こされるだろう。そう願って、これをみんな贈ります。
それからというもの、ヒノキの香りを嗅ぐたび、中学に入ったばかりの青臭い時代が思い起こされて、照れくさい、、、 ということでもない。ヒノキの香りは直接そこには結びついていなくて、結局その話をしてくれた教師と、そのときの場景が思い出されてしまう。ちょっとだけ、的が外れてしまったらしい。
それと同じような感覚で、音楽が人と結びついていたりする。MのNを聞くと、Kさんが思い出されたり、KのDを聞くと、Aさんが思い出されたり。これはもう主観でしかなくて、勝手なイメージだったり、思い出の中でBGMになっていたものだったり、その頃巷によく流れていたものだったり。記憶の中のテーマ曲は、曲の善し悪しなど関係なく、すてきに聞こえる。そして、記憶の中の場面がドラマチックになる。
元気満々な大学教授、齋○孝氏が説くように、年を重ねていくことで「あのころ力」が失われていく(35歳を過ぎた頃から、下降線をたどるらしい)のであれば、こういった青臭い郷愁は忘れていくものなのかもしれない。「あのころ」を懐かしむ力が失われていく、「あのころ」が消失する! 氏曰く、それは当然あるべき成長で、こぞって「あのころ」離れできていない今時の風潮がおかしいんだとか。
「あのころ」に固執するばかり、現実を直視せず、将来を思い量らなくなっては困るけど、前へ進んでいく推進力にはなっているんじゃないかなぁ、と思う20代。若輩者であるから故必要な力なのかもしれない。年を重ねることで宿る他の力があるのかも。どこぞやのキャッチコピーじゃないけど、NO MUSIC, NO LIFE.
香りは記憶を呼び覚ますきっかけになる。祖父母の家に漂っていた線香の香り、海で遊んだときの磯の香り、旅先で嗅いだ異国の料理の香り、、、 ふとしたときに同じ香りを嗅ぐと、その香りと深く結びついている記憶が蘇ってくる。君たちが今手にしているヒノキから放たれている香り。この香りを嗅ぐとき、きっとこの学校に入学してきたときの、希望に満ちた新鮮な気持ちが思い起こされるだろう。そう願って、これをみんな贈ります。
それからというもの、ヒノキの香りを嗅ぐたび、中学に入ったばかりの青臭い時代が思い起こされて、照れくさい、、、 ということでもない。ヒノキの香りは直接そこには結びついていなくて、結局その話をしてくれた教師と、そのときの場景が思い出されてしまう。ちょっとだけ、的が外れてしまったらしい。
それと同じような感覚で、音楽が人と結びついていたりする。MのNを聞くと、Kさんが思い出されたり、KのDを聞くと、Aさんが思い出されたり。これはもう主観でしかなくて、勝手なイメージだったり、思い出の中でBGMになっていたものだったり、その頃巷によく流れていたものだったり。記憶の中のテーマ曲は、曲の善し悪しなど関係なく、すてきに聞こえる。そして、記憶の中の場面がドラマチックになる。
元気満々な大学教授、齋○孝氏が説くように、年を重ねていくことで「あのころ力」が失われていく(35歳を過ぎた頃から、下降線をたどるらしい)のであれば、こういった青臭い郷愁は忘れていくものなのかもしれない。「あのころ」を懐かしむ力が失われていく、「あのころ」が消失する! 氏曰く、それは当然あるべき成長で、こぞって「あのころ」離れできていない今時の風潮がおかしいんだとか。
「あのころ」に固執するばかり、現実を直視せず、将来を思い量らなくなっては困るけど、前へ進んでいく推進力にはなっているんじゃないかなぁ、と思う20代。若輩者であるから故必要な力なのかもしれない。年を重ねることで宿る他の力があるのかも。どこぞやのキャッチコピーじゃないけど、NO MUSIC, NO LIFE.