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マッキントッシュ・ふたたび

パーソナルコンピュータがうちにきたのは、学生のときだった。それまでは、ワープロにずいぶんお世話になった。冊子をつくるようなときは、出力した文章を切り貼りして、印刷機にかける。文字列は行儀よくなったものの、行程のひとつひとつが手作業の連続で、アバウトな仕上がりになっていたものだ。
うちにきたのはA社のパソコン。初めての買い物だから、特にこだわりもなく迎え入れたのではないかと思う。その頃は何でもできるようでいて何に使うのかよくわからず、取り立てて必要ともしていなかった。だからこんなものが世の中に広く受け入れられるとは露とも思わなかった。インターネットにつながったときも、ここまで普及するとは、知る由もなし。
その後学生生活を送る上で必要な場面に何度も出くわし、いい加減パーソナルなコンピュータを購入した。それはM社のもの。周囲の状況や金額的な面などから、妥当な選択だったと思う。道具として考えても、付加価値はあまり意味をなさない。買い換えもして、今まで申し分なく使ってきた。ひそかに品はないよなぁと思いながら。そしてここにきて、新たな環境を手に入れる。満を持して、といえるかもしれない。環境を変えることに、結構思い切った。再びA社のパソコンと出会う。
慣れもあるだろうけど、不満がないとはいえない。それでも買い物としては、満足のいくもの。所有欲を満たしてくれる。どうか末永く、サポートしてもらいたい。

今日が祝日だということに昨日気づき、そのせいか朝はなんとなく寝坊した。それでも相当早い時刻から向かいの土地で棟上げが始まり、にぎやかな様子に引きずり出される。やはり冬の朝の冷気は、目覚めの時分から気合を必要とする。年取ったのかなぁ などと思ってみるも、子どもの頃からそれは変わらない。意味のないいい訳のひとつ。
仕事場に、薪ストーブを置こうと考えている。春先には、薪ストーブを買っても薪になる廃材が出なかったりして。すなわち、仕事がなかったりして、なんて冗談をいっていたものだが、幸いなことにいくつか仕事をいただくことができ、じゃあそろそろ、という気持ちになった。ただ、いまだ決心つかず、今は灯油を燃やしている。もしかすると、このまま春を迎えてしまうかもしれない。
そんなところで、今日は薪をつくった。天気もよかったし、向かいの家が目を見張るスピードで組み上げられていくのを見ながら薪をつくるのは、仕事をするよりも気持ちがよかった。仕事のつもりで材に向かうと、この部分はまだ使い道がある、もったいない、などと考えて全然薪はつくれない。同じ作業でも、気持ちが違うとこんなに楽なものかと、新鮮に思う。
おかげで棚ひとつ分の薪が用意できた。ストーブを買う頃には、きっとほどよく乾いている。来シーズンもまた薪をつくれるよう、最善の仕事をしていこう。

火力

以前弟が、炊飯器の使い方が分からないといっていた。この話を聞いただけだと、ご飯も炊けない甘ったれのように思われそうなものだが、実は違う。彼はよくご飯を炊いてくれる。ただうちには、電気炊飯器がない。だから使ったことがない。だから納得。
うちでは圧力鍋でご飯を炊いている。近頃は土鍋を使うこともある。高級な電気炊飯器で炊かれたご飯を食べたことがあまりないので、どれだけおいしく炊けるのか知らないが、火にかけて炊いたご飯は、とにかくおいしい。しかも手間がかかるかと思えば、そうでもない。夕食の支度で台所に立つ時間があれば、その中で炊き上がってしまう。火のそばを離れるようなことがなければ、失敗もまずない。
そんな自分も、一人で暮らしているとき、炊飯器はもっていなかった。炊飯器を使った驚きの調理法をちらほら耳にすることはあるものの、基本的にご飯を炊くことしかできない炊飯器が、狭い台所にはちょっと邪魔に感じた。ただそれだけのこと。それでもほぼ毎日鍋でご飯を炊いて、食べていた。聞き方によっては、ぜいたく。味わいもまた、ちょっとぜいたく。
暮らし方は十人十色。必要になる日用品もまた、人それぞれ。炊飯器でケーキが焼けても、うちにはまだなくていい。

てざわり その2

今たたいているパソコンのキーボードは、プラスチック。マウスも当然、プラスチック。デスクスタンドのスイッチもプラスチック。鍋の取っ手もプラスチック。携帯電話もプラスチック。実は毎日プラスチックしか触っていないんじゃないかと思えるくらい、たくさんのものがプラスチックでできている。
造形が自由で、軽くて丈夫で、成分を工夫すれば熱に強くなったり柔らかくなったり、電気を溜めることだってできる。発色もきれい。感触も自在。とにかく便利な素材だと思う。樹脂といえばもともと琥珀や漆といった天然由来の素材を指したが、今では合成樹脂を連想するくらい浸透して、暮らしを支えている。
木のテーブルがある。大木から切り出された、立派な板。どっしりと構えていて、大黒柱じゃないが、家のよりどころとなるような、たくましい存在感を漂わす。そんなテーブルもつやを保つために、扱いを楽にするために、長持ちするように、ほとんどのものがプラスチックのコーディングが施されている。だから触っているのは、大木じゃなくてプラスチック。木の温もりを感じる、なんてことはできない。
素材にはそれぞれ特有の表情があって、心に響いてくる。鉄には鉄の、ガラスにはガラスのかもし出す雰囲気がある。木材にもたくましくてやさしい表情があって、それに包まれたいと多くの人が思う。でもよく目にしている木材のようなものは、印刷だったりする。雰囲気だけなら申し分なく再現されているから、役目は果たしているかもしれない。でもそれは、本質じゃない。
素材の感触。見た目以上に大切な、リアルな刺激を忘れはしないかと、不安になることがある。世の中は、バーチャルじゃない。

傾向と対策

デザイン・コンペティションのプレゼンテーションに立ち会った。書面による一次審査を通過した作品の実作による二次審査は、それなりにハイレベルな、興味深いものだった。審査の前に、一通り見渡したところでなんとなく結果を想像してみると、結局、審査結果もほぼそのとおりになっていた。
そんなものかなと思いながらも、せっかく一線で活躍している専門家が審査するのだから、専門外の人が見て適当に下す判断とはまた違った、特殊なアプローチでの判断があって驚かされる、なんて事態になるのも一興ではないかと思ったりする。
アートではない、暮らしの道具を造作するときに求められるのは、安全性、機能性、耐久性、メンテナンス性など。これらを備えた上で美しくまとめあげられるかどうかに、デザイン能力が問われる。用を足すだけでは、またかっこよくても用を満たさないのでは、いい仕事とはいえない。
コンペは試験のようなもの。応募するコンペの傾向を把握し、審査員の作風や論調を調べ、コンセプトを練る。形をまとめる。プレゼンテーションする。コンペの雰囲気にそぐわないようだと、そのものがいかに優れていても、選ばれることはなかなか難しい。逆に趣味があえば、内容が不十分でも通ってしまうことがあり得る。
プレゼンテーションによって提示される情報にインパクトがあったり、日常では考えられない危うさや緊張感をはらんでいたりすることが新鮮で面白い、コンペにはそんな見世物的な面もある。

迷い犬

洗面所からふと外を見ると、裏手の斜面に紐につながれた犬がいた。一瞬、散歩の最中に迷い込んだのかと思ったが、考えてみればここは2階。犬が見えたのは、普通にはちょっと踏み入らない、結構な高みになる。改めてもう一度外に目をやった。よく見てみれば犬の形をした風船が、斜面の低木に引っかかって風になびいているのだった。どこからきたのか、風変わりな訪問者である。簡単に取りにいけるところではなかったので、しばらくしてまだついているようだったら取りにいこうかと、そのままにしておいた。
夕方、薄暗くなった頃、家に入ろうとドアに鍵を差し込みながら何気なく庭の奥に目をやると、得体の知れないものがうごめいている。ぎょっとしたが、また狸かハクビシンでも降りてきたのだろうかと、よく見てみると、またしてもあの犬が、そこでふわふわなびいていた。斜面の上の方にいた犬は、風に押されて奥に追いやられてしまったらしい。2度驚かされてかわい気を感じなくなってしまったこともあり、そのまま、放っておいた。
翌朝、今度は思い出して庭の外を探ってみると、もうそこには犬はいなかった。昨日近くにいるときに捕まえて、片付けて置けばよかったと、少し後悔する。どこかで人を驚かせていたり、または人の手の入らないところで最期を迎えてもらっても始末が悪かったなと、考える。
夕方、いつものように家に入る。部屋の照明を点けると、そこにあの迷い犬がいるではないか。風がないから、じっとしている。家の誰かが、招きいれたのだろう。今日も黙って、留守を守っている。

お受験の朝

先日、電車に乗って出かけた。休みの日で朝も早目だったせいか、まばらな乗客の中で座ることができた。
しばらくして、隣(といっても何席か間がある)に座っていた女性が、携帯電話で話し始めた。電車の中での携帯電話の通話は絶対ダメ! とは思っていないし、空いていたので気にならずにいた。
そしてしばらくすると、今度は向かいに座っている女性が電話をかけ始めた。こうなるとなかなかにぎやかだなぁと様子をうかがっていると、後から電話をかけ始めた向かいの女性は少しきつい調子。どうやら相手が携帯電話の電源を切っていたらしい。だからメールが送れず、仕方なく電話をかけることになってしまったようだ。そしてこんな感じ。
「受験票忘れちゃったみたいだから、机の上にある受験票の受験番号メールで送って」「だから、受験票忘れちゃったから、番号送ってって」「なんでケータイの電源切れてるのよ!」「わかった?」
受験票を忘れてしまったことで少し焦ってしまったのか、ぷりぷりしている。叱られている電話の相手が、ちょっとかわいそうだ。と勝手に心配してみる。
女性は電話を切ると、攻略本とやらを取り出して、ページを繰り始めた。せめて受験番号だけでもわかっていれば何とかなるだろうから、あとは試験に集中するのみ。なのかと思っていると、そうでもなかった。ページを繰っては、ケータイのメールをチェック。友だちと「受験票忘れた。サイアク。お母さんケータイの電源入れてないし。ほんと使えねー」(?)なんて交わしているのだろうか。今だけは、試験に集中してみてもいいかもね。手許の攻略本も、あとで「使えねー」と一蹴されないよう、祈るばかり。

研ぎ澄ます

仕事に、ノミやカンナといった道具をよく使う。これらは、手入れをしないとすぐに調子が悪くなる。調子が悪くなってしまうと、余計な力を使わなくてはならなくなったり、思うように作業が進まず形が崩れてしまったり、疲れて嫌になったりする。仕事を終えたときに満足したかったら、こまめに手入れをしなくてはいけない。
刃物を研ぐ姿は、絵になる。朝方、冷えた空気の中に白い息を吐きながら、まっ平らにならされた砥石の上に刃物を静かに置き、指を添える。決して慌てることなく、神妙な面持ちで擦り合わせていく。刃先を目の前にかざし、研ぎだされた鏡のような刃先に朝日がきらりと反射する。そこで軽くうなずいてしまったり。これが夜でもいい。囲炉裏端で、なんてシチュエーションだとなお美しいかもしれない。
何だか神々しい儀式のようで、雑念を取り払って無心に行わなければならないような、そんなイメージ。技は盗め、背中を見て覚えろ、という世界で受け継がれてきた研ぎの雰囲気は、刃物と砥石が擦り合わされる音が静かに響く、緊張感のあるものだったのかもしれない。無駄口をたたくなんて許されない、座禅のような空気。しかし目的はあくまでも刃物が切れるようになること。ロックンロールを聞きながら手入れをしたって、きっと楽しい。作務衣を着てなきゃ「匠」になれないなんてことは、まずない。
気持ちよく仕事をするために、疲れないために、けがにつながらないように、いつでもよく切れるようであって欲しい。ただそう思う。しかしながら、考え事をしながらその場しのぎで研いだ刃物は、すぐに切れなくなる。よく手入れされている道具は、何といっても美しい。

クライアントへの手紙

拝啓
枯れ葉舞う季節、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。このたびは礼拝・講堂棟の建立に対し、心よりお祝い申し上げます。
貴大学礼拝・講堂棟ナルテックスベンチ及び短大記念室ベンチの納品が完了しましたので、ここにご報告いたします。
今回、皆さまの長年の夢だったというチャペルの建設に際し、その一端ながらも携われたことを、嬉しく思っております。
個人的な話になりますが、我が母校でも最近、校舎の建て替えが行われました。緑豊かで穏やかなキャンパスの中で、新しい校舎は異質なものとなり、わずかながらも協力(出資)する者として、残念に思っている所存です。
そのような折、貴大学におかれましては、K先生による大変美しいチャペルの建設がなされ、すばらしいことだとつくづく思っている次第です。
制作いたしましたベンチにつきましては、家具を造形ととらえ、機能の面と美的要素のバランスを探り、かたちに導こうとしている私の活動と合致する、興味深いものでした。デザインにおける空間との呼応はもちろんのこと、設置については建築との取り合いで困難なものではありましたが、それを克服するまでの道のりも、十分に報いてくれるテーマでした。
ナルテックスベンチ及び短大記念室ベンチの制作にあたりましては、並々ならぬ熱い思い入れへのお祝いの気持ちと、つたない私へご依頼いただけた光栄な気持ちとを込めて、ささやかではありますが、ご請求額へ反映させていただいたつもりでおります。美しい礼拝堂ともども、末永くお使いいただければ幸いです。
貴大学の益々のご活躍とご発展を心より願っております。
末筆ながらご一同さまにくれぐれもよろしく申し上げてください。

敬具

懐炉

 カイロというと、今では使い捨てカイロが当たり前だ。幼少の頃テレビで見た使い捨てカイロのCMが、記憶に残っている。カイロといえばネーミングのわかりやすさから、ホッカイロが定番という感じ。
 昨冬、仕事場をあちこちかき回していたら、懐炉がでてきた。手になじむ緩やかなアールを描いた金属のボディをもつ、ベンジンを含ませて点火するもの。表面は少しさびていたが、磨くとすぐに輝きを取り戻した。
 見たこともその存在も知らなかったから、初めは懐炉であるということもわからなかった。しかし調べてみると、80年の歴史をもつ息の長い製品である。家族の話では、ぼくの曾祖母が使っていたものではないかという。そのときは燃料になるベンジンが手に入らず、使わずにおいていた。
 ストーブを出した次の日、懐炉を思い出して冬の備えにと、取り出した。そして今回はベンジンも用意する。説明書や付属品は紛失しているものの、使い方を調べてベンジンを注入、点火してみる。するとこれが暖かい。燃料を含ませて火を入れるというちょっとした作業が、豆を挽きドリップに備えてお湯を注ぐという、コーヒーを飲むときの一連の動作のように、趣があって嬉しい。
 使い捨てカイロはごみが出るのが嫌で、なかなか使えなかったが、これなら安心して気軽に使えるように思う。寒い日には悩まされる手足の冷えも、今年は少し和らぐかもしれない。